Diary 3月31日 〜 月10日
   ( 森昌子は仮面妻? 別居前に離婚届にサイン   安藤美姫 お見事、ストライク!
               福岡沖玄界地震の窓ガラス  と、 スマトラ沖地震 400人の死亡確認
 )

                                          2005年4月21日

       
< 森昌子は仮面妻? 別居前に離婚届にサイン >   

   森昌子が活躍した時といえば、もう30年以上も前。
   「せんせい」という曲でデビュー。その時に13歳。1972年。
   同じ時期に注目されていた女性歌手に、山口百恵や桜田淳子がいる。
   
   森昌子の印象は、失礼な言い方だが、一言でいえば『野暮ったくてあか抜けない田舎の女学生』
   それだけに、先生にひそかにあこがれる女子学生の心情を歌った「せんせい」という歌は、彼女に曲も
   歌詞も、ピタリとはまっていた。

   やたらに歌唱力があったのは、誰もが認めるところ。あのたわしのような頭も妙に忘れられない。
   山口百恵や桜田淳子の色気とは、まるっきり別の位置にいるような印象だった。
   でも、それだけに結婚したら『子供をかわいがり良いお母さんになるのだろう』という印象は一番強かっ
   た。

   森進一が、森昌子に暖かい家庭の思いをたくして、結婚するのもうなずけるところ。
   森進一のキーワードは「暖かい家庭」だという。
   10歳のときに森進一は、父母の離婚で母に引き取られるかたちになった。
   幼少期、少年期に出生地の甲府から沼津、下関、鹿児島へと親戚や母子寮を流れわたった。

   森進一は山陽本線が嫌い。
   「もう死のう」と言われて家族四人で枕にした線路が山陽本線だったという。
   「何をやってるんだ」と通りかかった人に幸い救われた。

   その森進一が「暖かい家庭」を、あきらめざるえない状況に至っている。
   ”離婚危機”渦中にある森昌子(46)が、別居直前に離婚届けに署名・捺印し、森進一に手渡していた
   ことが、6日に分かった。

   4月7日号の週間文春には、オレから見て、とてもいいお母さんになっていたのでは?と思っていた森昌子
   のとんでもない正体が書かれている。森進一と30年以上の付き合いの濱田貴吉氏が語った内容だ。
   あまりにもイメージと違うので、その記事をいまだに信じられないほどだ。
   
   以下、【森進一と森昌子がついに離婚へ 家庭に向かない仮面妻 「昌子の正体」(週間文春)】 から、
   抜粋。

   ○ 「昌子さんが家を出た」という記事やワイドショーがあったりすると、ほとんどの人、そうですね、
     百ニ十%の人が「あっ、森進一に女ができたんだな」とか「暴力でも振るうのか」と思いますね。
     それなら話は分かり易くみなも納得するのですが、ところがそんなことは毛先ほどもない。
     毎晩六時すぎには家にに帰ってますから。地方公務員より早い。
     家庭崩壊をリードしたのは昌子さんの方です。

   ○ 私が見たかぎりでは、昌子さんが家の中で明るく振る舞っていた光景はほとんどありません。
     お茶もお菓子も出さずにすうっと二階にあがる。友人たちもだんだん自宅を訪問せず、近所の
     ビジネスホテルで会うことが多くなりました。

   ○ 新年を迎える年越しそばがインスタントで、茹でもしていない。さすがに昌子さんに怒ったそうです。
     彼女はわがままです。
     ゴルフをやっていてもとつぜんハーフでやめちゃう。メンバーの迷惑はどうでもいいんです。
     嫌なら初めからこなきゃいい。しかも、しょっちゅうです。

   ○ 昌子さんは私の知っている医師に言ったそうです。
     「主人はもうがんばってもヒットは出ませんよ。これから運がどんどん悪くなる。そこへいくと、わた
     しはうなぎ昇りに良くなります。
     だから、主人といても足を引っ張られることになりかねない。肝炎のこともあって体は丈夫じゃないし
     大変そう。だからわたし、主人が寝込んでも面倒を看る気はありません」

   「芸能界一のおしどり夫婦」といわれた森進一と森昌子。
   ふたを開ければ、内情はこんな状態・・・・・というのはさびしい気もしてくるが。
   週間文春では「森進一・昌子の破局劇。だが、これは単なる序章にすぎない。」と、結んである。
   これが、序章ならば、今後どのような形になっていくことやら・・・・。
                                           2005年4月10日 23:00


         < 安藤美姫 お見事、ストライク! >

   スポーツニュースに、安藤美姫が出ていた。
   彼女は昨日、4月1日の巨人対広島戦の始球式に登場した。
   笑顔がとてもかわいらしい。見事にストライクを投げた。
   「スケートリンクの何倍も大きなところで投げられて(捕手に)届いたのでうれしかった」
   と話した。

   最近、いたるところで安藤美姫の写真や記事を目にする。
   4月7日の週間アサヒ芸能では、「安藤美姫の秘蔵プライベート写真大公開」として、グラビア
   ページで3ページをさいている。
   顔は完璧に整っているわけではないのだが、笑顔があひるのような顔をしていて、愛嬌がある。
   回りを明るくしてくれる、輝きを感じる。

   アサヒ芸能では、写真ばかりではなく彼女のこれまでの軌跡をまとめた、連載を始めるようだ。
   新連載第1回として、
   「スポーツ美女」を代解剖 4回転クイーン 安藤美姫の匂い立つ「17歳肉体プライバシー」
   副題が、( 「父親事故死」で「22歳結婚→出産」決意 )

   ずいぶん、興味を強引にひっぱる長ったらしい題名だ。
   ただし内容は、彼女の現在のスケートの成績・CM価値の分析・将来の展望とずいぶんわかり
   やすくまとめられている。

   安藤美姫をテレビで初めて見たのは、先日の大会、モスクワで開催された世界選手権だ。
   彼女だけ目だっていたわけではなく、村主章枝も、日本的なふんわりした雰囲気をもつ綺麗な
   人だと、思った。
   しかし、こんなに安藤美姫ばかり、クローズアップされるのは、どんなものなのか・・・。
   ギネスブックにも掲載されたという「4回転サルコウ」の力が大きいのか?

   安藤がスケートを始めたのは9歳になる誕生日の数ヶ月前。
   半年後には1回転半ジャンプを、6年生のころには5種類のトリプルジャンプを跳んでいた。
   本人は天才という呼ばれ方を嫌がっているが、その才能は疑いようがない。

   主な成績としては、全日本ジュニア選手権を3連覇(2001年〜2003年)
   シニアの全日本選手権でも2連覇(2003年〜2004年)。
   14歳のときに出場した2003年フィギュアスケートNHK杯(エキシビション)と
   2002年ジュニア・グランプリでは、女子では史上初となる4回転ジャンプを成功させる。
   2005年2月 国体冬季大会1位、 2005年3月 世界選手権6位。

   さて、そのアサヒ芸能の記事から、彼女のキャラクターを抜き出してみると・・・

   焼肉が大好物で、現役女子高生らしくお菓子も大好き。
   母親の明美さんが栄養学の本を集めて研究していて、玄米食やオリーブオイルを取り入れた
   食事で食生活を支えている。

   厳しい肉体改造や節制も、すべてはトリノ五輪のため。五輪後はこんな発言をしている。
   「トリノに出たらアマチュアはやめて、プロスケーターになる。21歳か22歳で結婚して23歳で
   子供を産む」
   
   「子供の名前は考えていますよ。女の子だったら『美華』で、2人目が『ミナ』」
   「子育てが終わったら、またプロスケータになって32、33歳からコーチになる」
   一連の発言は、わずか8歳で父親を交通事故で亡くした事と無縁ではなさそうだ。
   と、アサヒ芸能の記事は推測している。

   サイトで安藤美姫を検索したところ、日刊スポーツの4回転を最高させた15歳のときの
   インタビューが興味深い。

   −−美姫ちゃん、おめでとうございます。成功して一夜明けた後、見える世界も変わっていた
   安藤 全〜然(笑い)。自分は自分だから。何も変わってないですよ。

   −−勉強は
   安藤 全然駄目ですね(笑い)。

   −−得意な科目は
   安藤 全くないんです。

   −−スポーツは
   安藤 それもだ〜め。球技がまったく駄目です。小さいころは足は速かったんですけど。

   −−好きな言葉とか
   安藤 好きな言葉? それは、ないですね。
   
   冷たい?返答ばかり。しかし、トリノ冬季五輪に質問を移すと…  
   安藤 出たいっ、出たいです! 行きたいですよぉ。私の夢ですから。

   −−もし、スケート以外に時間が取れたら
   安藤 やっぱりスケート。もっともっと滑りたい。もっともっと練習したい。

   モー娘のメンバーの名も知らなければ、スマップの番組も見たことがない。
   安藤 だけど、全然気にしてません。私にはスケートがあるから。
   
   まだ15歳の安藤に対するインタビューなのに、充分面白さを感じてしまう。
   ところで、日本スケート連盟が、日本雑誌協会に安藤選手や家族の取材に配慮を求める
   異例の要請をおこなったという。

   確かに、過熱気味の週間誌報道は、彼女の17才という年齢や、芸能人ではない事を考えても、
   一定の距離を保つ事が必要なのだろう。
   しまし、ここまで人気が出ると、スケート連盟の要請もどこまで効果があるのか、疑わしいとこ
   ろだ。

   なんにしても、この異常なマスコミ攻撃に負けることなく、五輪に向けて彼女には頑張って
   ほしい。
                                            
   参照:芸能 インタビュー 安藤美姫(日刊スポーツ)
                                        2005年4月2日 18:20

  

  < 福岡沖玄界地震の窓ガラス  と、 スマトラ沖地震 400人の死亡確認 >

   昨日、見開きで掲載されていた福岡沖玄界地震の写真。
   そのビルの窓が割れて、路上にふり注いだ、景色。細かなガラスの無数の破片が、道路上
   を、おおっている。それは、水色の光にぼんやり反射していて、見方によっては綺麗でもある。

   でも、そんな感傷的な見方も、サンデー毎日の記事を読むと、気持ちが変わる。
   「今回の地震は、阪神大震災の教訓が十分に生かされていない事を露呈したという意味で
   重要な出来事です。」 と、東京大学大学院の清家剛・助教授は指摘する。

   防災関係者にショックを与えたのは、福岡市最大の繁華街・天神の「福岡ビル」(10階建て)
   の窓ガラスが400枚以上も破損し、歩道に降り注いだこと。
   20代の女性が右腕を12針も縫うなど、3人が負傷した。平日なら第惨事になっていたかも
   しれない。


   防災アドバイザーの山村武彦氏は、
   「割れたガラスは大きな塊のまま、尖った方を下にして時速40〜60キロで向かってきます。
   神戸ではアスファルトに突き刺さっているのを目撃しました。人の腕などは簡単に切り落とされ
   てしまうでしょう」


   こんな警告を読むと、そのガラスのふりそそいだ写真も、見方が変わってくる。
   さて、その福岡沖玄界地震では、死者が一人。
   
   今回のスマトラ沖地震では、400人という数字が読売新聞の朝刊に出ていた。
   インドネシア赤十字社は、29日、ニアス島だけで、死亡者が「1000人以上に達すると推測
   される」との声明を発表。

   オレガ昨日疑問に思った、地震の予想の件。
   文部省科学省は、アジア・太平洋地域の地震や津波、火山活動などを監視する衛星郡を
   2012年度に打ち上げる構想を明らかにした、という。
   しかし、2012年まであと7年。
   「7年間も待てないのでは?」と、思うのだが。

   また、英国の研究グループが3月17日付けの英科学誌「ネイチャー」で
   「マグニチュード(M)7〜7.5の地震発生が迫っている」と警告していたという。
   その警告に、少しでも注意をはらって対策をこうじていたら、ここまでひどくはならなかったの
   ではなかろうか。
                                         2005年3月31日 1:50

                                                  >>過去の日記









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