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     恋愛の卒業

                       ◎佐藤 愛子  『その時がきた』
                                
 
 「オレ、今ね、クラブのホステスとつきあってんだ。」
 友達にそんな事を自慢したかった。それゆえに、好みでもない
 ホステスさんと20歳の頃付き合ったことがある。
 まったくの軽薄なオバカな自分がそこに居た。

 今では、そのホステスさんとの事は、ほとんど覚えていない。
 それくらい、薄っぺらな心の通わない付き合いだった。
 しかし、ある場面での会話だけが、今でも忘れられない。

 
「石沢君、自分にとっての人生で、どんな時が一番つらい事だと思う?」
 ホステスの彼女は、おれのタバコに火を付けて突然、聞いてきた。
 おれは、その頃は、ただがむしゃらに絵ばかり描いていた時だ。
 だから、迷わず答えた。
 「絵が描けなくなった時かな。たとえば、自分の才能に絶望したりしてさ。
 あと、病気で手が動かなくなったり、切断になったり。
 そうだ!
 目がみえなくなるってのも、ものすごい絶望感につながるよ。」

  彼女は、そんなおれの答えを無視して、自分の想いを簡潔に述べた。
  「私は、自分が男の人の恋愛の対象に、ならなくなった時が一番つらいと思う。」

  その後、彼女に「それは、年を取る事に対する恐怖なの?」とか、
  「君は、恋愛至上主義なんだ!」とか、言ったような気がする。
  ほとんど彼女に同意できる気持ちにはならなかったはずだ。

  しかし、その会話を思い出す場面にその後、何度か出会った。
  それは全ての女の人に多かれ少なかれその気持ちがある事を感じたからだ。
  男だって、女とは異なるが、男なりの老いや恋愛に対するあがきをみせられる
  場面があった。
  男も、『恋愛の対象にならない』とみなされる事はつらいのだ。

  だから、金のある男は、金で女を買う事により、
  一時的に自分の現実から目をそらそうとする。

  だから、ホステスさんとのその会話だけが忘れられない想いでとなった。

  話しは、変わるが、ちいさな本屋で佐藤愛子の
  「そしてこうなった 我が老後4」とゆう本を、手にとった。
  ぱらぱら拾い読みをした。軽く読めそうでおもしろそうと、思った。
 
  三十年前に別れたモト夫が、乃木将軍のヒモノのようになって、
  気が弱ったか時々やって来るようになった。


  なんてゆう出だしのエッセーがあった。
  ”三十年前に別れた夫が来るようになったら、いったいどーなるの?”
  とゆう単純な好奇心も加わり、つい買ってしまった。

  その内容はおもしろいんだけど、実は同じ本の別の話し。
  エッセー「恋はウメボシ色」が気になった。
  佐藤愛子が、昔書いた小説のあらすじを紹介している部分がある。
  その小説にとても興味を持った。
  
   私は昭和四十六年、四十八歳の時、『その時がきた』という長編小説を書いた。
  
「その時」とは女が「若さを失って容色が衰えて行く時」である。その悲壮感を、
  美容整形の女医を主人公にして書いたのだ。
        (中略)
   その彼女は片腕としてこの病院で働く十五も年下の若い医師に恋をする。
  そして恋をしたことで少しずつ変化する。容色の衰えを気にする「普通の女」-−−
  今まで軽蔑していた患者たちと同じ女になって行くのである。
        (中略)
   「私はもう下り坂を歩いているんだわ。毎日毎日、下って行ってるのよ。今に
  女でなくなるのよ。いっそ死にたい、死ねば年をとらずにすむ」


  この小説は、作者自身が一番その事を意識したときに書き上げた小説だ。
  それは、原 子朗の解説に書いてある。
  解説に佐藤愛子自身の言葉が載っているのでそこを参照するとわかりやすい。

  女にとって”女でなくなる”ということは、男性から女として見られなくなる、という
  ことです。それは好むと好まざるとにかかわらず、すべての女、女という女が
  通らねばならぬ道です。そしてそれは今、その道にさしかかっている私がとり上げる
  のに、最もふさわしい主題だという気がするのです。

                               (「婦人公論」昭和45年4月号)

  この事は、実は女の人だけにかかわらず、男にも言えることだと思う。
  年と共に、体力が衰え、髪が薄くなり、ついにははげて、ほとんど入れ歯になり
  勃起すらできない状態になったとき・・・
  男が男としての機能を果たせなくなったときの、さみしさもまた深く悲しい
  事だろうなぁと思う。

  その起たなくなったときの男のせつなさは、トルコ嬢と結婚し、離婚した
  作家、生島治朗の「暗雲」という小説の最後の方に書かれてある。
  恋愛の楽しさを充分味わってしまった人ほど、恋愛から引退しなければ
  ならない時は、深く苦しむのではないだろうか。

  何だか、話しが暗めになってしまった。
  「その時がきたと」ゆう小説は、実は老いの苦しみだけを訴えた暗い小説ではない。
  自分に置き換えて、沈み込むだけの小説など、読みたくもないだろう。
  深刻で気分が重くなるだけなら、読んでいて、途中でやめてしまう。
  
  いい例がうちの奥さん。
  おれが、この小説を読み終わり、内容を説明すると、
  「女に見られなくなるのが、なんでそんなに怖くて辛いの?
   なんでそんなに苦しむのか全然わかんない!」

  と言っていた。
  オレとは別人種か?と疑うほど感性の違う我が妻!
  その妻が読み始めたら、おもしろさにひきづられ
  オレと同じく一日で読破してしまった小説。

  ”自分にとっての「その時」を考えてみたい” とゆう人にも、
  『ひまだから面白い小説ない?』という人にもお勧めの小説です。  


                  2004年3月7日


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